震災について

もう、あの日から1年も経つんですね。世の中はまだ、復興の段階で、乗り越えたというわけではないので、
時間だけが早く過ぎたような感じです。
1年前は仕事中に震災が起こったんですけど、阪神大震災を経験してるので、「この揺れはヤバイ!」ってのが、
すぐわかって、まっさきにヘルメットかぶって、机の下に隠れました。
その事にかんしては、あの時の経験が生きてるなーって感じです。
阪神大震災の時は中学生3年生で、前日の夜に家族で「最近地震多いよねー」って他人ごとのように話してたのを覚えてます。夜寝る前も「あー、明日体育の授業があるなー」って感じで床についたのをめっちゃ覚えてます。
で、明け方に地響きと、遠くからうねりのような、揺れの波が迫ってくるようなのを感じ、その直後に恐ろしい揺れがありました。
揺れている時間は1分ぐらいですかね?その時はタンスは倒れるわ、食器の割れている音が聞こえるわ、家の柱とか壁がベキベキミシミシ言って、壊れていくのがわかるわで、あと10秒でも長く続いてたらどうなってただろうと思うほど揺れました。
震源地からは遠かったのですが、家はかなり古い家に住んでたので、多分、神戸だったらペチャンコです。まじで。
その後、恐怖に震えて動けなかったのですが、父親が下の部屋からすぐに声をかけてくれたので、
我を取り戻しました。で、タンスの下敷きになりかけてた姉を一緒に救い出しました。いやー、無事で良かった。
父はすぐ会社に行きました。ボロボロになった家と、家族を置いて出ていったのですが、
仕事場を守ることが、家族と、社員及び、社員の家族を守る事になるのだろうと判断したのだと思います。
もし、俺も家族を持ってたら、そんな冷静な判断できるかな?家族との信頼があるから出来たのだと思います。
で、その後、母と姉と俺が家に残ってたのですが、さてどうしようか?って感じです。
更に揺れたら危ないし、かと言って外に出てもどこに行けば良いかわからない。食べ物も無い。
テレビをつけても、被害報告のみで、どのように行動すれば良いかは伝えていない。
とりあえず、近所の小学校に水をもらうために並びに行ったんだけど。ほんと迷ってました。
実際学校に行けたのは1週間後でした。俺の家の被害はクラスの中でも結構酷い方だったみたい。
その後は1ヶ月ぐらいは、寝るときに避難所で寝て、昼間は学校に行くという生活でした。
お風呂は自転車で30分以上かけて、銭湯まで行ってました。
次に住む家が決まったので、そこに引っ越して一段落しました。まー、そこから宝塚市民ですね。伊丹市から出て行きました。
さて、阪神大震災と1年前の震災で経験した事で、俺なりの考えを書いてみたいと思います。
よく地震の会話が出た時や、テレビでも言ってるのですが、備えが大事だと。食料や水を買い込んでおくとか。
でも、それはあくまでも生き残った時の話であって、やっぱり発生時と、その後数時間を怪我なく生きてる事が全てだと思います。
阪神大震災の時は、はっきり言って、運良く生き残ったレベルだと思います。もし、タンスが別の角度から倒れてきたり、2度目の揺れがあったり、あと数秒揺れが続いてたらどうなってたかわかりません。
だから、準備という意味では、ある程度築年数の新しい家に住む、大きいタンスのある場所で寝ない、揺れの後は、その場が安全な場所か即時に判断し、そこに留まるか移動する必要があります。
そう、すごく単純な事なんですが、この判断がすごく難しいと思います。でもこればっかりは自分自身で判断しないとダメですね。普段なら想定出来ない状況が発生してるから、何が正しいかははっきり言って誰もわからないです。
あの時、こうすれば良かったとか、あの人についていったから、こうなったとか、後になってみないとわからないですもんね。
なので、もし地震が発生したら、自分自身の目で状況を見て、自分自身で判断する事が大切だと思います。
まー、実際に発生したら冷静でいられる自信は全く無いですけどね。ただ、この揺れはヤバイかヤバくないかは、
即時にわかるようにはなりました。
よく、震災の後に結婚したという話とは逆に、離婚とか別れたカップルを聞きますが、寂しい話だと思います。
その時の行動は人それぞれ色々あると思いますが、お互い生きてただけでも素晴らしい事だと思いますが、色々あるんでしょうね。
といあえず、色々書きましたが、もう2度と自信は起こって欲しく無いです。本当に。
そして、一日でも早く復興できる事を願います。あと、阪神大震災時に思ったのですが、
震災で大変な人が大勢いるのに、世間では置いていかれて、何か寂しく辛い思いをちょっとしました。
やっぱり、今回の地震で、今も大変な人が多くいることを、忘れないでいる事が本当に大事だと思いました。